堀口大学

 太平洋戦争末期妙高に疎開した堀口大学は終戦後高田に移住して次の詩を読んでいる。

塘亭

家の前は城あとの濠ばた
越してきたのが北国の十一月

はや初冬
敗荷と枯れ葦の根かたに
寒むざむ白う水が光って
朝晩は鴨の声がして

新居とは名ばかりの
朽ち果てたふる家
窓の硝子はめしひ戸は傾いて
すきもる風に寒夜の夢は成りがたい

これはたうてい
老いの身の旅路の果てに行きついた
終ひの棲み家のみなみのしろまち

     (『あまい囁き』昭和二十二年)

画像出典 :
『頸城文学紀行』
小林勉・著 耕文堂書店


 昭和25年 高田を引きあげる際に作った詩。高田公園の濠わきに詩碑がある。


高田に残す(堀口大学詩碑)

ひかるゝおもひうしろがみ
のこるこヽろの なぞ無けん
すめば都と いふさへや
高田よさらばさきくあれ
おほりのはすよ 清う咲け
雪とこしへに白妙に


 昭和22年 堀口大学はたくさんの詩集を出した。 雪国でのわびしい疎開生活の中から生み出されたものが多い。
主な作品は、 『人間の歌』、『冬心抄』、『乳房』、『あまい囁き』、『雪国にて』 などである。


略歴

明治25年(1892年)東京市本郷区森川町(現 文京区本郷)に生まれる。
明治27年(1894年)外交官になった父が朝鮮に赴任することになり、家族は家郷、長岡に移り住む。
明治42年(1909年)長岡中学校卒業とともに一家上京
明治43年(1910年) 慶応大学仏文科に入ったが中退
与謝野夫妻の新詩社に入門

その後、外交官の父についてヨーロッパに渡り、数十年間住んだ。
帰国後、フランス文学の翻訳・紹介に尽くし、その研究書を発表するなどして日本文学に大きな影響を与えた。
日本の現代詩、特に口語の表現の可能性に大きく貢献。フランス近、現代詩を翻訳したり多くの象徴的叙情詩をつくった。

代表作